ワクワク! クラシック音楽の泉

堅苦しいけど奥深い「クラシック音楽の世界」に新しい出会いを求めて日々活動中。名曲(迷曲)、名演(迷演)、珍曲の発見など、個人的にワクワクしたことを綴っていきたいと思います。

美メロの素晴らしさと怖さ チャイコフスキー/歌劇「マゼッパ」

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 チャイコフスキー/歌劇「マゼッパ」(演奏会形式)
 マゼッパ:ウラディスラフ・スリムスキー
 コチュベイ:スタニスラフ・トロフィモフ
 マリア:マリア・バヤンキナ
 演奏:マリンスキー劇場管弦楽団・合唱団
 2019年12月2日 サントリーホール
 
こんな超マイナーなオペラに感動してしまうとは。しかも演出なしの演奏会形式である。
びっくりした。
 
「マゼッパ」で思い出すのはリストの超絶技巧練習曲第4番である。
 
超絶。技巧。
 
とにかくものすごーく、神係り的な技を必要とする曲。リストは自らそんな曲を作ってしまった。ピアノは弾けないのでわからないが聴くだけでも何本指が必要なのかという凄さはわかる。映像を見るともっとすごい。たとえ鍵盤を弾かなくても、こんなに腕を適当に動かし続けることさえできるだろうか。
オーケストラ版の交響詩も作っているのだが、これまたすごい曲。
 
リストの元ネタはビクトル・ユーゴー叙事詩「マゼッパ」。マゼッパはなかなか荒々しい、実在した人物だそうで、荒々しく馬に乗っている様を表したようである。この点ネット上検索の知識なので、もうちょっと自身で改めて調べてみたいと思うが、確かにうなずける。荒々しく馬が駆け巡るのである。
 
今回聴いた超マイナーオペラ、こちらはプーシキン叙事詩「ポルタヴァ」が原作。ここに同じマゼッパという人が出てくる。荒々しく馬に乗る物語かと思えば、白髪のじいさんになってからの話。しかし、頭領として権力は持っており、しかも若い娘を虜にしてしまう存在。やはり荒々しい。
 
ところで、チャイコフスキーはオペラをいくつか残しているが、有名なのはバレエのほうである。オペラが日本でたびたび上演されるのはまだ最近のことだと思う。
バレエは言葉がない舞台芸術。だから踊りはもちろん、音楽でもそのシーンを表さないといけないし、登場人物の心情も表す必要がある。
 
私自身、初めてバレエの公演を鑑賞したのは、つい最近のこと。「白鳥の湖」。やっぱり、まず選ぶのは王道作品である。オペラなら「カルメンだろうか。
正直とても素晴らしかった。感動した。バレエはオペラよりつまらない、そんな偏見を持っていたのだが。
 
言葉が発せられないことが違和感だったのだが、それもすぐに慣れ、徐々に引き込まれた。素晴らしいソリストの軽やかな、重力を感じさせない演技。白鳥の踊りの一糸乱れぬ、どこかの国の軍事パレードを彷彿とさせるような踊り。そして馴染みある、美メロあふれるチャイコフスキーの音楽。
演奏会で聴く組曲版は、それはそれで素晴らしいが、演技がつくことで、その音楽の意味がよくわかった。
 
オペラには言葉があるのでその点不足はないのだろうが、さすがチャイコフスキー、言葉があっても音楽はバッチリ、言葉をカバーする表現をしていた。
何せ初めて聴くオペラであっても。十二分にストーリーは堪能できたし、もちろん字幕はあるので登場人物の心象はわかるが、字幕を見なくてもロシア語の言葉がこんな雰囲気のことを話しているんだろうとわかるのである。
 
全部で3幕ものだが、個人的な白眉は第2幕。
 
マゼッパの揺れる心が歌われる叙情的な美しいソロで始まるが、この幕のラストは処刑なのである。そこに向かって緊張感ある音楽が展開されるのだ。
マゼッパは愛するマリアにその愛を確認する。「父よりも俺のことを愛するか?」叙情的な音楽にのり、その確認ができた後、突然母親がやってきて「父がマゼッパに処刑される」という告白。「ええッ、お母さん!なんでもうちょっと早く来てくれなかったの!」という台詞はないが、そんな気持ちで錯乱するマリア。悲劇!盛り上がる音楽。
そして処刑場。断頭台への行進が始まる。軍楽隊の音楽でさらに劇的になる。でも何故かここで酔っ払いが登場、軽妙な歌と軽妙な旋律。おいおい、せっかく緊張感ある、手に汗握る場面に何故コイツが。
 
これはチャイコフスキーの作戦である。ふっと緊張感を解く。それは再び緊張感を高める役割を醸し出すのである。
 
深刻から軽さ、そして再び徐々に近づく処刑の時。緊張感が再び高まる。手に汗が再び湧き出す。
 
そして処刑されるマリアの父コチュベイが登場。祈りが行われるが、ここで再び静かに美しくせつない音楽へ。手の汗がまた引く。
この静けさは涙を誘うチャイコフスキーの演出。
そして、ついに激しい音楽で斧が振り下ろされる。
このような場面でもチャイコフスキーの美メロが飛び交う。これが逆に怖い、すごく怖さを感じさせた。
 
第3幕への間奏曲としてポルタヴァの戦いという管弦楽だけの曲が演奏される。これが序曲「1812年」を彷彿させる凄い迫力の曲で、ここまで聴いただけでも何でもあり、お腹いっぱいになりそうになった。
大満足。
 
超人ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場とロシアのソリストだからこそできた公演かもしれない。とにかく皆パワフル。ドーピングでもしているのか。
 
この公演前、直前に亡くなったヤンソンスにこの公演を捧げると告げられた。全員で黙祷。サントリーホールが、ほとんど物音ひとつしない空間に。あれだけの人が同じ場所にいて全く音がしない状況が現れた。無音というのは耳に外部からの音、空気の振動が入ってこない状態であるが、変な圧力がかかっている気がしたのが不思議だった。
この無の状態から始まったことは、このオペラの凄さをさらに増したのではないか、とも思った。
 
 
公演終了後、図書館にあったCDを借りる。
もう廃盤になっているので入手困難だろうが
ネーメ・ヤルヴィ指揮のエーテボリ管弦楽団演奏。これもいい。