ワクワク! クラシック音楽の泉

堅苦しいけど奥深い「クラシック音楽の世界」に新しい出会いを求めて日々活動中。名曲(迷曲)、名演(迷演)、珍曲の発見など、個人的にワクワクしたことを綴っていきたいと思います。

もし、巨万の富を得たら何がしたい? マーラー/交響曲第2番 ハ短調「復活」

f:id:HerbertvonHarayan:20191123204008j:plain

マーラー交響曲第2番 ハ短調「復活」

ソプラノ:ラトーニア・ムーア  メゾ・ソプラノ:ナージャ・ミヒャエル

合唱:ウィーン楽友協会合唱団

演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:ギルバート・キャプラン

録音:2002年12月11.12日 ウィーン楽友協会

 

もし、巨万の富を得ることができたら、どんなことをしてみたいか?

即刻サラリーマン生活をやめて、一等地に豪邸を建てて毎日心置きなく好きなことをする。暇だなぁ、と思えばちょっと南の島までプライベートジェット機を使ってひとっ飛び。おいしいものを毎日たらふく食べて。ああ、今度月へも行ってみるか。。。。

と庶民の私はそんなが頭によぎるのだが。

実業家として巨万の富を築き、それをもとに好きな曲を研究し、そして自らがその曲を指揮して演奏会を開く。

 

ギルバート・キャプラン

 

クラシック界では有名な名前である。

 

彼が好きな曲はマーラー交響曲第2番「復活」。わかる。よくわかる。私も大好きである。ただ凄いのは、マーラーという作曲家に対してではない。マーラーの「交響曲第2番」。好きな対象はこれのみ、なのである。他の曲、交響曲第1番「巨人」やアダージェットが有名な第5番などのことはどう思っているのか、意見を聞いてみたいものだ。

 

「え、巨人?知らないよ。もしかして読売ジャイアンツのこと?」

 

と答えるかもしれない。そうならある意味、偏愛、いや変態、かもしれない。

大好きで大好きで、仕方ないなら毎日毎日CDでも聴いていればいいのだが、私と違うのは巨万の富を生かしてこの曲の自筆譜を購入して研究。それだけに飽き足らず、会場を借りオーケストラを雇って自ら指揮をする。おまけに録音までしてCDをリリースしてしまう。音楽教育は全く受けていないのに指揮をしたい一心で名指揮者ショルティの下では勉強したらしい。ショルティマーラーでは定評がある。

 

一体いくらつぎ込んでいるのだろう。たった1曲のために。

 

キャプランの存在を知ったのは結構早い時期。クラシック音楽にだんだんのめりこみ始めたころ。資産をつぎ込んで指揮をしている変わった人が、今度日本に来て指揮をするというニュースだったか、新聞だったか。

 

確か1984年の4月、来日して新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮している。曲はもちろんマラ2。これ以外は指揮しないのである。変わった人が指揮を初めてしたのは1982年。

そしてCDリリースしたのは1988年にロンドン交響楽団で。

なので新日本フィルは結構早めにこの変わった人の情報を得て、オファーしたのではないだろうか。

当時、たとえ、もうマラ2が大好きになっていて、今度演奏会でマラ2をやるからといっても、先述の特別演奏会には間違いなく行かなかった。音楽素人の金持ちが道楽でやっていることになんで首突っ込まなきゃいけないのさ。どうせ、たいしたことないでしょ。

そして更なる衝撃は2003年、なんとあのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が変わった人の指揮でマラ2を録音してCDリリースするという情報。しかも会場は黄金のホール楽友協会。ウィーン・フィルもお金があれば雇えるのか。大好きだったウィーン・フィルに裏切られた感じがしたのを覚えている。

 

2016年のお正月。ひとつのニュースが入ってきた。キャプランが亡くなったというニュース。それまでほとんど記憶の彼方であったので「そんな変わった人、いたよね」と思い返す程度。普通なら、ここで終わるはずなのだが、なぜか気になって仕方なくなってしまった。あの、かつての変わった人のことが。

そして、ついに、変わった人の、それもウィーン・フィルを振った禁断のCDを初めて手に入れることになる。

 

聴いた。恐る恐る。どうせ。。。

 

正直良かった、感動したのである。

 

キャプランが自筆譜などを研究した成果「キャプラン版」での演奏。正直、事細かにどこが今までとは違うとか指摘はできないのであるが、大好きな曲を作曲者自身の意識や思いをくみ取ろうとして研究した成果であるのは間違いない。いわばマーラーの思いそのものが詰まったものの結晶と言っても過言ではないだろう。ウィーン・フィルも雇われであっても後世に残る録音を出すのである。半端な演奏はしないはずである。

 

マラ2はかなり情熱的に激しく、そして最後は盛り上がる演奏が大好きである。例えばバーンスタインのような。その高まりに心が震え最後涙するのである。でも全体には落ち着きを払った演奏。そしてクライマックスはすっきりしているが本当に天国的な美しさ。特に合唱が讃美歌や宗教曲を教会で歌っているような、力まない、非常にクリアな合唱を響かせるのである。

 

「よみがえるために私は死ぬのだ。」「そう、お前は蘇るのだ。そしてお前を神のもとへ導くであろう。」

 

天上界との会話とすれば、「私は死ぬのだ!!」と、もう後がないような叫びというより、神秘的な静かな冷静な雰囲気であってもおかしくはない。

キャプランが研究した成果は私にとっても新たな発見をさせてくれた。長い間、変わった人、と思っていて大変申し訳ない。巨万の富に感謝なのである。

いずれにしても、一つのことに夢中になって自分の人生をささげたということ。今の私はどうであろう。たとえ巨万の富があったとしても、ここまで一つのことに人生ささげることができるか、ただ心置きなく日々をあれこれ好き勝手に過ごしてはいけない、と思ってしまうのである。

亡くなった2016年、キャプランが持っていた自筆譜がサザビーズでオークションにかけられ、6億円という楽譜では史上最高値で落札された。落札された方は、ぜひキャプランのように、後世のために生かしていただきたいと思う。


Gilbert Kaplan | First Performance of Gustav Mahler's Symphony No. 2 (9-9-82)

キャプランの最初の演奏会(1982年)の様子。ウィーン・フィル演奏とは違い、かなり激しい演奏。素人感満載、なんだこの指揮ぶりは、と思うが、とても微笑ましくも思える。面白いフィニッシュの振り。でもとても満足そう。